Vol. 36
2009. June. 27
親子で秘境駅鉄道旅〜飯田線編〜(前編)
2008年は12月のお話です。どうにか時間が取れたのでチビスケと二人で再び秘境駅探訪となりました。今回は「秘境駅の宝庫!?」で有名な飯田線巡りです。しかし名古屋から長野まで移動して、しかも日帰りなので例によって強行軍です。普段は寝坊助のチビスケもこの時ばかりは4時半頃にパッと起き出します。家を出ると、さすがに周囲はまだ真っ暗です。全く物好きなことだなあと思いつつも気分はウキウキです。
今回もチビスケの書いたメモが一緒につきます。黄色で示したのがチビの文章です
飯田線とは?
豊橋から長野の辰野まで延々と続くローカル線です。何でも元々は3つの私鉄が統合してひとつの路線になったそうで、そのため駅の数が90以上もあるという何だかものすごい路線です。
天竜川沿いに路線が延びている部分があります。この一帯はかつてダム建設のために水没して消えてしまった駅周辺の集落が少なくないようで、そのために駅として機能しなくなった駅が多数存在し、それが秘境駅として残されているのです
JR東海の路線図より
チビスケがすべてスケジュールをたてたので私は直前まで何も知りませんでした
2008年12月23日(クリスマス直前だあ!)
普段はねぼすけのチビスケが朝の4時半に起き出します。まだ薄暗い中、家を出ます
東京 5:51着 6:23発 新幹線ひかり401号 新大阪行き
駅の弁当屋は6時開店のため、まだ品数もそろっておりません。時間稼ぎもあり新幹線で移動します。ローカル線もいいけれど、単に「移動」となると新幹線は楽ちんです
お弁当屋さんもまだシャッターが半開きです。父はとんかつ弁当、子は鳥めし弁当
朝からこんな高カロリーなもの、、、、
†豊橋8:00着 8:10発 特急ワイドビュー伊那路1号飯田行き
豊橋から、ワイドビューに乗車します。あとでチビスケに聞いたら別に無理にワイドビューに乗車する必要もなかったそうですが、特急車両に乗ってみたかったことと「中部天竜駅」に早く行ってみたかったので選択したそうです。
特急車両は新しく、とってもキレイ(キレイすぎるくらい)。特急という割にはのんびり走るような気がしないでもありません。
豊橋駅です。まだ8時過ぎですが、これからの道程を考えると今のうちにお昼ご飯を確保する必要があると判断し、
(=もう夜まで食料を調達できない可能性が高い)ここで再び弁当をかっておきました
特急電車は3両編成ですがシートもリクライニングで何だかもったいないです。ぜーたくな気分
チビスケメモ
01号新大阪行きで豊橋まで乗る。新幹線は速くわずか2時間弱で着いた。しかも快適。これはとてもゼータクである。
†
豊橋 8:10発 飯田線特急ワイドビュー伊那路1号で中部天竜駅まで乗っていく。いつもならこの列車の5分後に出る各駅停車天竜峡行きに乗っていくのかというと???中部天竜駅を味わいたいからである。もう1つの理由は乗り継ぎ割引が使えるからである。実はJRの全部の会社は新幹線→在来線特急(反対でもOK)と乗り継ぐ場合は在来線特急の特急料金が半額になるのだ。ただし特例で東京駅で乗り継ぐ場合は乗り継ぎ割り引きは通用しなのである。さてとこの車両は超有名な夜行快速「ムーンライトながら」で使用されている車両である。車内はとても豪華である飯田線オススメ駅めぐり(秘境駅)
今回は第2回目の秘境駅めぐりである。しかも超有名な飯田線である。飯田線は秘境駅の倉庫である。(ニヤニヤ)
東京 6:24発 新幹線ひかり4。伊那路は3両編成でありそのうち2両が自由席である。とてもガラガラであった。1時間弱乗っていると中部天竜駅に着いたのである。(ちなみに2009年3月14日のダイヤ改正によりワイドビュー伊那路1号は出発時間が変わりましたのでご了承ください)
中部天竜駅 9:21着
ここで各駅停車に乗り換えます。しかし豊橋からここまで既に駅数は30以上あるのですね!!特急だったから何の気なしに到着しましたが、各駅停車だったら、、、、。
駅は昭和9年12月開業のようです
おお!いかにもローカル線の乗換駅といった風情です。待合室には新幹線のシートが利用されていました。この駅には鉄道博物館があり、チビはここも訪れてみたいと言っておりました
これがレールパーク!後ろには旧型車両が展示されています
ところが!!なんと!この博物館は「11月31日で今期の営業は終了」とのことです!!せっかくここまで来たのに〜。
外から眺めると旧型の車両や古い駅看板が飾ってあります。入ってみたかったけれど入れないものは仕方がありません
(後の情報では、ここは閉鎖されることになったそうです。ということは二度と訪問できないということです)
え?せっかく来たのに〜 (泣)
レールパークには昔の手書きの駅看板なども飾ってあるようで行ってみたかったなあ、、
列車がくるまで1時間あります。そばには大きな橋があるので橋を渡って河川敷におりてみます。結構高い橋であり高所恐怖症の気がある私は橋を渡るときは結構怖かったです。
駅からのびる立派な、しかし中途半端な幅の鉄橋です。実かかつては貨物の引き込み線として使用されていたらしいです
橋脚につけられたプレートには「飯田線工事事務所」と書かれ、飯田線のために作られたであろうことを示唆しています
さあ!次はいよいよ念願の秘境駅中の秘境駅です!
10:20発 普通天竜峡行き にて出発!
チビスケメモ
中部天竜駅
ここは有人駅である。タブレットの機械(今は使用されていない)が置いてあった。(しかも触れる)待合室には新幹線の座席を利用した席がある。とてもフカフカで心地がよかった。この駅のすぐ隣には佐久間レールパークという博物館がある。しかし今年は11月31日を持って閉館しているのだ。(ちなみに開館は3月ごろだそうです)仕方がないので周りを歩いていると川があった。川はとても冷たいと思うが行ってみた。川の中に手を入れてみるととても冷たかった。そういうことをしているうちに普通天竜峡行きの列車が来たのでそれに乗った。
†
改札横にタブレット交換機が飾ってありました。待合室には新幹線の座席が流用されていました
実は飯田線の普通列車は半自動式で扉は自分であけなければならない。(新しい列車はボタン式になっている)特急列車はもちろん違います
これが飯田線の普通列車
小和田駅10:58着
†
そうです!ここは知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないという「小和田駅(こわだ)」です!!!
下車したのは当然、我ら親子のみ!
列車の中から「こんなところで降りる物好きがいるよ」といった視線を感じたのは気のせいでしょうか?
ここは長野、愛知、静岡県の3つの件にまたがる場所にあるそうです。
静岡、愛知、長野の3県にまたがります
この駅はかつて皇太子のご婚礼の時に皇太子妃と姓が同じ(読み方は異なりますが)ということ一時的に有名になった駅です。
その当時には臨時列車も出たそうで、ここで結婚式を挙げたカップルもいたのです。
しかしブームが過ぎ去ったあとは本来の「秘境駅」に戻り素晴らしい?たたずまいを見せています
当時の名残ですね。ホームには「恋成就駅」なる記念碑?があります
古い駅看板が残されているのは粋な計らいですね。作られたのは昭和8年12月とあります
駅は2ホームあるのですが、昨年くらいに駅舎の反対側のホームは使用廃止となり線路もはがされていました。駅の両側ともトンネルになっています。
駅舎は完全に木造の駅舎です。建物財産標をみつけましたが、どうやら昭和8年に出来たもののようです。ということは築75年(2008年当時)であり、ああ後期高齢者に該当するのね、などと妙に感心してしまいます。
おお!木造
左手に自動販売機がみえますが平成11年頃から動いていないそうです
待合には「駅ノート」がおいてあり、物好き達の記録があります。また当時結婚式を挙げたカップルの写真が飾ってありました。結婚式から既に15年経っており、現在はどうして過ごされているのであろうかと考えてみたりしてしまいます
駅舎の裏側を見てみたら、なんと鉄筋で崖から落ちないように補強されていました。裏側は断崖絶壁となっており、もし地震でも起きて地滑りを生じたらこの駅舎は消滅してしまうかもしれません
このように裏手は補強されております。そのすぐ横まで崖になっています
チビスケが撮影した小和田駅風景です。テロップが入ります
数年前まで2面ホームでしたが、現在は一面のみ使用で未使用側は線路も撤去されています
その一方、かつての引き込み線跡と思われるホームと線路が残されていました。左手前に見えるのは保線のための詰め所だそうです
上下左右360度のCubicVRを作りましたが、今回はレンズが汚れていたり不適切な露出だったりで不出来です。
上の画像をクリックしてみてください(要QuickTime)
↑クリックしたまま左右に動かしてみてください
山側から眺めた駅の風景です
この駅の特徴はやはり「駅からまともな道路がない」ということでしょう。なにせ駅から出ている道路は簡易舗装されていますが、自動車が走ることは無理でバイクならば大丈夫かもしれないといった代物です。人家は駅から歩いて15分くらいのところに1軒あるのみ。しかも高齢のために年内に引き上げてしまうかもしれないという記事が夏に新聞に掲載されておりました。
7km先に塩沢集落というものがあるらしいのですが、とても歩く気にはなれません。
駅を出ると狭い坂道となります。休憩所で折り返しになります。右手に見えるのは製茶工場の廃墟ですが、脇に道標があり、「塩沢集落1時間」とあります。ちなみに「高瀬橋」というのは吊り橋らしいですが、現在は崩落が進み、橋としては機能していないそうです。
坂の途中に休憩所らしきものがありました
工場廃墟を中心に向こう側に行く道路と手前に伸びる道路があります
向こう側 (駅から西側)に行ってみましたが足場も悪く歩きにくいです。しばらく歩くと小屋のようなものがありましたがうち捨てられた物置でした。ここから先に行くのはあきらめました。こちら側はバイクはおろか自転車でも走行は無理かと思われました
もともとは駅に通じる普通の道路もあったそうですが、天竜川のダム建設により、まともな道路は水没してしまい駅のみが残ったものだそうです。
少し周囲を歩きますが、もと工場の廃屋があり、ダイハツミゼットの残骸が転がっております。おお!かつてはミゼットが走っていたのね!と思わず感心してしまいます
工場廃墟の周囲をぐるりと回りました。下は道のような、そうでないような、、?
おお!ダイハツミゼット!マニアならば持って帰ってレストアしたくなるかもしれません!!しかし!これを運ぶことをできる道路が存在しません!
先の写真にも写っていた休憩所ですが、ここには「愛」とかかれた椅子が置いてあります。ブームの時に「愛をはぐくむ場所」として設定されたものだそうです。おまけにセンサーがあり、近づくと音楽が流れるようになっていたそうですが、無論現在はうんともすんとも言いません。
駅から出て下り坂の途中にある休憩所。それにしてもこんな所でも舗装してあるのですね。
ここには「愛」とペイントされた二人がけのベンチがありました
天井にはスピーカーがあり、また左側の柱の上にセンサーと思われる機械があります。かつてはこのベンチに腰掛けるとセンサーが感知して音楽が流れたそうですが、現在は無論何も反応しません。
せっかくなのでここで豊橋駅でかってきたお弁当を食べて昼食としました。当然ですがゴミ箱もありませんし、このような素晴らしい?場所にゴミを捨てるわけにはいきませんので持ち帰りとなります。
時間に余裕があったので唯一存在する人家まで歩きました (駅から東側)。日中だから良いようなもの夜だったら街灯などありませんのでとても到達できないでしょう。
左手には天竜川が見えます
見上げると飯田線の鉄橋が見えました / ひたすらこのような道を歩きます
確かに15分歩いたら人家に辿り着きました。人力で運べないような物資はどうやって運ぶのかと思っていたら、どうやら新聞記事によるとプロパンガスのボンベなどの品物は川をまたいで簡易ロープウェイが敷設され、それを利用して運ぶそうです。
少年は荒野を目指す?
右上に見えるのが唯一の民家、これ以上はプライバシーの問題もあるので割愛します
敬意を表して家に向かってお辞儀をして戻りました。
再び15分歩いて駅に戻ります。右手には天竜川の美しい風景が広がります。晴天の日ならばさぞかし美しい風景なのでしょう。自動車の音も聞こえず、なんともゆったりした気持ちになることが出来ます.
いい感じです
殆どはこんな感じの道路です
ただ、河原を眺めているとどことなく不自然な印象もあります。やはりダムで流れをせき止めて川幅が広げたためになんとなく違和感を感じるのでしょうか?
いずれにせよ、いやあ、これはすごいなあ!!これに比較すれば銚子電鉄などは都会の列車だあ!などとまで思ってしまいました。
さあ、列車が来たので乗ろう!と思って扉を開けると、なんと年配の男性二人組が「ごくろうさま」と声をかけながら下車してきたのにはびっくりしました。
その二人は鉄道好きとは思えず、何か用があって下車したようですが(それが普通ですが)次の列車までは3時間ほどありますし、いったい何をしに来たのであろうと時間があったら尋ねてみたいくらいでした。
チビスケメモ
小和田駅
中部天竜駅から約30分乗っていると目的地の小和田駅に着いた。ここは秘境駅の中でも2位である。しかも駅舎が木造である。もちろん無人駅である。小和田駅は小和田雅子様(読み方は違うが)と同じ漢字であるため全国各地からこの駅に来る人がとてつもなく増えたのである。しかも水窪市(現在は浜松市天竜区)主催でこの駅で結婚式を挙げたカップルもいるのである。しかも臨時列車で小和田駅止まりの列車。臨時で急行伊那(現在はワイドビュー伊那路)が停まったりしたことが有ったという。
このように注目を浴びた駅も現在は無人化されしかも棒線化してしまい今では利用客も一日あたり7人くらいだといわれているのである。ここは左右をトンネルで挟まれている。そして周囲を散策すると「愛」と書かれたベンチがある。あるネットによるとこの付近に近づくとある歌が流れたというが、現在はもちろん歌はならない。そこから少し下に行くと製茶工場の廃墟がある。建物は木造である。そこからちょっと下にいって左に行くと自動車の残骸が放置されているではないか。周りは雑草が伸び放題である。その後うろうろとしていたがお昼タイムに近づいてきたので豊橋駅で買っておいた駅弁を食べる。
実は小和田駅に一番近い塩沢集落は60分ほど歩くとあるという。今回はそこまで歩いてみようと思った。いざ歩いてみるとアスファルトの道路ではなく(それは当然)砂利道でありさらに傾斜がとてつもなく急のため途中で疲れてしまった。もう少しというところで列車の時刻に近づいてきたので駅に戻った。
この階段状道路の上に駅(保線用詰め所)が見えてきました
製茶工場廃墟が見えてきました / 休憩所から見た駅です。ようやくゴール
列車に乗るときに乗客の視線がいっせいに自分たちのほうへ向いた。(多分「こんなところで乗る人がいるよ」と思っているのだろう)
†
後日談〜
何と!知り合いの年配の看護師が飯田線沿線出身とのこと!戦後まもなく伊那小沢に住んでおり、兄弟が当時、国鉄に勤務していたとのことでした。しかも小和田駅にはかつて駅前に国鉄の官舎?があり、そこに住んでいたそうです。駅前には数件だが民家もあったそうで、今は廃墟となっている工場跡も当たり前ですが当時は稼働していたそうです。
そういう話を聞くとやはり小和田駅はかつては生活の拠点駅のひとつであったことが偲ばれます。ダム建設によって地域社会が変貌してしまった一例なのでしょう
13:11発 普通天竜峡行き にて小和田駅を離れました