分類不能項目


Vol. 71

 

2017. Mar.20

 予備校物語 2


 数年前の話ですがムスコが予備校を見学するというので、ある日一緒にくっついていくことになりました。まあ私の知っているのはメジャーなところだけです。

 新宿駅にそう言えば河合塾のキレイな建物があったなあと、まずそこに行ってみました。受付に行くと受付のお姉さんがパンフレットを持ち出してイロイロ説明してくれます。説明を聞くのは息子に任せて私は周囲をきょろきょろ眺めています。館内を見学してみると、いやあキレイですねえ。私の描いていた「どこか雑然とした殺伐とした雰囲気」などはみじんもありません。さすがこの数十年の進歩は違うのですね。私は呆気にとられるだけで肝心の講座内容は何も聞いていませんでした。

 次にお茶の水の駿台予備校に寄ってみました。知らなかったのですが建物は全て建て替えられていたのですね。昔は東校舎、本部校舎、西校舎と三ヶ所に別れていたのが現在は1,2,3号館と名称も変わり新しくなっていました。昔は東校舎がいわゆる「東大受験組」で一番優秀な学生が集まっていたものですが、現在は異なるようでした。
 そういえば医学部学生時代、病院実習の時に駿河台病院からは東校舎が見えておりました。窓から勉強している駿台生を眺めながら「あいつらの方がオレ達より余程アタマがいいんだよなあ」と話したものでした。
 なんてことを思い出したりしつつ、キレイになった校内を眺めておりました。やはり講座内容はムスコに任せて私は何も聞いておりませんでした。ムスコが説明を受けているとき私は受付でボーッとしていると「何かご用でしょうか?」と事務員が寄ってきます。不審者と思われたのかもしれませんね?

 さらにかつて在籍していた市谷校舎に行ってみました。
 ここは私が再受験の時に通ったところです。1980年(昭和55年)に新たに市ケ谷に「医学部専門コース」として設けられた校舎であり、私はたまたま第一期生だったのです。
 当時は出来たばかりの新校舎でピカピカでした。ここをおとずれるのは30数年ぶり、当然ながら大学入学以降は一度も訪れたことはなかったのです。
 外観は変わっていませんが、何だかくたびれた感じがあります。そりゃあ30数年も経てばくたびれてきます。構内に入り、「校内を見学させてくれ」というと事務員は少しけげんな顔をしていましたが了解してくれ、ふらふらとさまよいました。
 さすがに30数年ぶりだと記憶もあいまいではっきりしないところが多いです。当時は自習室などは存在しませんでしたが現在はちゃんと設けられています。他はよくわかりませんでした

 ちょっと懐かしい気もしましたがムスコに感想を尋ねると「ボロいね」とつれないお返事。
まあ仕方がない。他の校舎は新しくなっているのにここだけ古いですからね。
 今でこそ市谷校舎は「医学部専門」として、そこそこ知られているようですが、当時は名前は「医学部専門」と称していましたが、実際には本当に優秀な学生はお茶の水の「東校舎」に集中しており、「市谷校舎」はワンランク下の存在でした。

 私にとって再受験の駿台時代はいわゆる「黒歴史」であったのか、記憶があまりないのです。以前も書いたことがありますが、おそらく思い出したくないのでしょう。自分の記憶の底にしまい込んでしまった存在なのです

 受付の方と少し話をして「実は(父親の)私もここにかつて通っていたのです」と言ったところ、先方から「あら、そうでしたか!それならば親子割引がありますので利用するといいですよ」とのこと
 なんと!予備校に親子割引があるとのこと!これには驚きました。
「お父様、かつての学生番号なお分かりですか?」と尋ねられましたが、さすがにそんな昔の予備校時代の学生番号なんてわかるはずもありません。「わかるわけないでしょ!」と返事をすると「そうですよね〜」と相手も当然ですよねといった感じ。「それならそれでいいです」とのことであっさりOKでした。でもこのときはあくまでも「見学」なので申し込みはせずに帰りました

 それにしても予備校に「親子割引」があるとは知りませんでした。また「親子割引」を使うような状況になったことも新たな衝撃でもあったのでした

 


その後

 ムスコに指摘されたのですが市ヶ谷の校舎は「市ヶ谷校舎」で無く「市谷校舎」が正しい表記だとのことでした。
「ヶ」は付かないのが本当だと言われてしまいました。


今の今まで知りませんでした。ああびっくりした