Vol. 22
2007/July/22
盗掘(その2)
色は様々、という事は年代や作成された場所も様々なのでしょうか?まあ何にせよ小物ばかりです
何を隠そう私が中学生の頃に近所にあった貝塚から掘り出したものです。時代は縄文後期らしい、しかしアッサリと薄くて紋様もシンプルなものも多くもしかしたら弥生時代のものも含まれているのでしょうか?
なんてことを当時考えていました。
比較的薄手に出来手いるので年代的には新しい?物ではなかろうかと思っています(厚手のものも混ざっていますので)
中には穴の空いたものもあります。ヒモでも通したのでしょうか?
場所は千葉県松戸市にある(あった)「河原塚古墳」というところです。ここは当時自転車で30分くらいの場所にありました。何でこんなところを知っていたかというと中学生の社会科見学?で現地を見学した事がきっかけなのです。私の記憶では30年前の松戸の中でも、えらく辺鄙な場所で山の中の造成地の中にあったような記憶があります。当然道路は未舗装でした。林の中にその古墳(当時は貝塚と呼んでいました)は存在していました。もっとも立て札のひとつもなく、林の中にこんもりと盛り上がった部分が有るだけといった感じでした。
その時はナントも思いませんでしたが、後日友人がそこで見つけてきたという土器の破片を見せてくれました。すると俄然と自分でも掘ってみたくなりました。
友人と誘いあい、休みの日にさっそく出かけました。
当時の雰囲気はこんな感じでした
今は「河原塚古墳」と記載されるようですが当時は「河原塚貝塚」と呼んでいました。貝塚というくらいですので少し穴を掘ると貝殻が層となって出てきます。今思うと、それも立派な歴史の反映されたものなのですが、物欲のかたまりの小僧にとっては単なる邪魔な貝の層でした。
そもそもこの古墳は縄文時代の貝塚の上に築かれたらしいです。貝塚なんて当時の貝捨て場、要するにごみ捨て場だったのでしょうが、時代を経るに連れ今度は古墳が築かれるなんて何とも面白い事だと思います。
半日、古墳の周りに穴を掘って(スコップではなく、シャベルで)みました。すると出るわ出るわ土器の破片が出てきます。でもホントに破片ばかりでまとまった大きさのものは出てきません。
頭の中で下のような土器が出てくるのではないかと密かに期待していましたが、、。
冷静に考えれば、そんなに立派なものはもしもあるとすればとっくの昔に発掘されていたはずですね
一日掘って、出てきたのは先に示したような破片ばかりでした。それでもそれなりに満足して帰ったものです。2,3回通ったように記憶しています
しかし数年経って、すっかり興味が薄れると今度は邪魔になりだしました。その時はよほど土器の破片を元の場所に埋め戻してこようか等と考えたりもしました。まあ結局はそれすらも忘れてしまい気がついたらすでに30年ほど手元にあるわけです。
私が掘ったのはどうやら4号古墳というやつらしいです。1号古墳は現在でも保存されているようですが、4号古墳の周囲はすっかり変わってしまったようです。
@ @ @ @
月日は流れ、、、、その場所には河原塚中学校なる学校が出来てしまったそうです。当時の面影は皆無となり、あの古墳も消滅したのであろうと思っていたら、、、ナント古墳だけ保存されていたのです。
しかし!!古墳部分だけ残った写真を見てみるとまるでお寿司の軍艦巻きのような姿となっていました。当時、うっそうとした林の中に存在しているイメージが消し飛んでしまいました。
まあ、消滅するよりはましかと、、。手元に残った土器の破片もなんだか嘆いているような、、。
まあ現在ではさらに発掘したくても、あの軍艦巻き状態ではとても出来ません。それに古墳の下は広い範囲で貝塚が存在していましたが、それこそ跡形もありません。
あの土器の破片達を、当時元に戻していたら大部分は中学校建築の際に処分されてしまったかもしれません。そう考えるとある種の文化財保護をしたのでしょうか?(たぶん違うだろうなあ)