院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その77

Sep.11.2011

30年ぶりの味
 



今年の夏休みは特に遠出の予定もなく、かといってずっとヒマというわけでもありませんでした。でも先日、朝から時間に余裕があったので、ふいに昔住んでいたところに行ってみたくなりました。昔と言っても大学1年生の頃までですからもう30年も昔になります。根無し草のような私が青春期を過ごした千葉県松戸市です。
 すでに当時住んでいた住居は無く、当時の友人達の消息もほとんどわかりません。とにかく行ってみることにしました。時間節約のため高速道を利用して柏インターから国道16号線に降りて国道6号線方面に向かいます。
  まずここでびっくり。昔は国道16号線と言ったら何もなくて、だだっ広い周囲は畑と雑木林だけの道路といった印象でした。さすがに30年ぶりに走ると道路沿いにはやたらと飲食店やら(それもチェーン店)大規模マンションなどが建っていたりします。国道6号線に入っても当時の面影はどこにもなく、自分がどこを走っているのか検討がつかず、GPSがなければ完全に迷子状態でした。ともかく当時住んでいた松戸市五香(これで「ごこう」と読みます)方面に向かうために横道に入り、ひた走ります。
  途中麗澤大学脇を通りますが、昔は道路の片側にだけしかなかったと思ったものが現在は道路の両側に立派な建物が建っていたりします。それにしてもかつては畑ばかりだった風景が、まだ田舎じみていますが住宅が増えていることは当然といえども時代の流れを感ぜずにはおられません。
  
  人の味覚は30年の時を超えてどうなるか?
  
  今回は30年ぶりのラーメンを味わうというお話です。
   漫画などではしばし数十年ぶりに味わう食事により過去の記憶が蘇ったり、
「そうだ!この味だ!」とか言って感涙にむせび泣くシーンなどがあります。人間の舌はそれほど敏感で豊かなものなのでしょうか?今回は自分自身で体験してみることにしました
   
 ところで、なぜ30年かというと私は千葉県松戸市に大学1年の途中まで住んでいました。
それがちょうど30年前になるのです。ですから松戸に居住していた頃に味わった食事をもう一度食べてみれば良いということになります。

 さて、では実際に行ってみよう、と思っても現地にはもうまるまる30年くらい行っておりません。かつて味わったお店が果たして残っているかわかりません。大体、大学1年の頃まで近所で外食なんてほとんどしたことがありません。
  たまに出前をとった近所の「満留賀そば」をGoogle ストリートビューで調べたら既に廃業していました。かつては夫婦で商売をしており、結構繁盛していましたし味も美味しかった記憶があります。息子が二人いて(長男は私と同学年でした)当時は次男坊が冗談交じりに「僕がお店を継ぐんだ」と言っていたような気がしますが実現はしなかったようです

つての「満留賀そば」左側がかつての店舗で看板も無くなっていました


 他に思いつくのはカレーショップとラーメン店くらいです。Googleで調べられるほど正確な場所の記憶がないので夏休みを利用して行ってみることにしました。
 まずはカレーショップ。田舎道になんだか場違いと思われるくらい本格的なカレー屋さんでした。松戸を離れる少し前に開店したお店で結構美味しかった記憶があります。でも確かこのへんにあったと思われる場所に行ってみても、それらしきモノはありません。やはりなくなってしまったようです。

私の記憶に間違いなければ、ここがかつてのカレーショップ(はなはだ記憶はアヤシイ)。現在はクリーニング店になっているようです


 それでは残りのラーメン店。当時は田舎道にあるこぢんまりとしたお店で味噌ラーメンが売りだったと思いました。
 その付近に行ってみると何もありません。やはり廃業したのかなと思って移動すると、思い込んでいた場所から数百メートル離れて場所に見覚えのある看板が目に入りました。
 ラーメン「金竜」確かに名前は同じですが場所が以前と少し違うような、、、。

確かに「らーめん金龍」の看板が見える!でも記憶ではもっと北側(こちらから見て奥)にあったような、、、

当時は周辺はもっと家が少なく、薄暗かった印象があります


 
 「おお!たぶんここだ!」さすがに建物は新築となっていましたが、まず間違い無いと思われます。早速お店に入ってみると若夫婦と年配の方の3人が働いています。年配の男性こそかつてのご主人と思われますが、現在は裏方に回っているようでテーブルの片付けや、下ごしらえなどをやっており調理はもっぱら若夫婦がやっていました。
 ちょうどかつてのご主人と思われる方がやってきたので少し話しました
 「もうだいぶ長くお店をやっていますね?」と聞くと「もう40年になります」とのことでした。ついでに場所が以前と異なるのではないかと聞いたところ、昔からここでやっているとのこと。どうやら私の記憶違いのようでした。30年ぶりにやって来たと言いましたが「そうですか、それはそれは」と答えてくれたのみであまり反応がなかったのは少し残念でした。

私のイメージでは雑木林の中に一軒佇んでいた感じですが記憶違いのようです


 
 注文は味噌ラーメン普通盛り。850円はこの場所にしては少し高めなような気もしたがまあいいでしょう。
 やがて味噌ラーメンが出てきました。記憶では味は濃い目で麺はちぢれ麺だったことくらいです。果たして食することにより様々な思い出が走馬灯のごとく蘇るか??
 
 で、食べてみました。うん、確かに味は濃い目で確かこんな感じの味だったような気がするけどよくわかりません。こんな味だったかなー?でもこんな味だったような気もするしよくわからん!というのが率直な感想
 
 それでも美味しくいただきました。ごちそうさまでした。まあそんなに足しげく通ったわけではなく特に感慨もなく終了!
 
 こんなもんかなあと思いつつ帰宅しました。
 ところが翌日になってじわじわと記憶が蘇りだし「うん、たしかにこんな感じだった。味は濃い目でゴマとか色々かかっており、どちらかというと肉体労働者向けの味付けだったよな」と色々と思い出してきました。
 
 ネットであらためて調べてみると、けっこうそれなりに評価されているようでした。まあ濃い味付けだけに評価も分かれているようでした。また機会があれば行きたくなりました。でも中途半端に遠いのが問題だなあ、、、
 
 40年前に開業したそうですが、40年前は私の記憶ではあの通りは歩行者は少なく定期バス路線もないに等しく、道路沿いには人家もあまりない不便な場所でした。近所は農家だったり自動車解体屋だったりした場所です。それが40年も同じ味(世代が変わって少しは変わっているでしょうが)を維持して続いているのは凄いことだと私は思っています。


 


  

左が2011年9月時点のGoogle map,右は1974年の国土交通相の写真

(当時の写真ではちょうど写真の端にあり上手く位置があっていません)

オレンジ色のマークが「金竜」です。現在の地図にある「金ヶ作小学校、金ヶ作幼稚園」は1974年には存在しません。金ヶ作幼稚園のところに信号のマークがありますが、当時は信号は無かったような、、。なお、信号機の左下の場所は自動車解体屋だったような気がします

恩田病院とあるのは昔から存在する精神科の病院です。今は綺麗になりましたが当時は林の中に存在するちょっと雰囲気が怖い病院でした。1974年の地図で青色でマークしているのが現在の「つくし特別支援学校」ですが、昔はここはなんと「牧場でした」。牧場の手前の道路は坂道で狭く舗装もされておらず外灯もなく、私は夜に自転車で走っていて、転んで怪我をしたことがあります。


 その後、少し五香の街を散策してみましたが個人経営で30年前と同じ店舗を構えているところは殆ど見られず、知らない街に来ている様な気持ちにさえなりました。それを思うと40年も続いたお店があることに感動さえしてしまいました。

帰りがけに中学校時代の友人であるニシヤマ君の家の前を通りました。もしかすると会えるかもしれないとほのかに期待を抱いていました。ところが当時は街道沿いのペンキ屋さんであったニシヤマ君の家は改装されて何やらアヤシゲなお店となっていました。お店もシャッターが降りており訳のわからない状態でした。まあものすごく個性的なヤツだったのでアヤシゲなお店を経営していても不思議ではないなあとちょっぴり納得しつつ帰路につきました。それにしても30年という年月が流れても私の頭の中は依然として30年前の風景が鮮やかに残っているのでした。