院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その72

Mar.15.2010

雪道ツーリング

 3月も半ばになろうとしているのに雪になった。みぞれまじりの雪の中を歩いているとすべって思わず足を取られそうになる。そんなことを繰り返すうちに昔のことを思い出した。なにぶん昔のことなのでどこまで正確に覚えているのか自分でもよくわからないが書いてみることにした。

 あれはもう30年近く前のことである。大学3年の春休みのことだったと思う。友人が九州のほうに帰省するときに、途中まで一緒に付きあうことになった。当時私は250ccの中型バイクに乗っており友人が同乗してツーリングがてらに出かけ、浜松まで行こうということになった。何故浜松かというと地図を見て、多分このあたりまでなら無難に行けるだろうと軽く考えたのである。当初の予定ではバイクでたらたらと一般道を走行し(当時、バイクの二人乗りでの高速道路走行は認められていなかった)浜松辺りで一泊して翌日友人は浜松駅から新幹線で帰省するという手はずだった。

 3月だったことは覚えているが何日頃のことであったかはよくわからない春休みだったので下旬であることだけは確かである。ただ気楽に考え、ふらりとバイクにまたがったような気がする。何時ごろ出発したのかも覚えていない。たぶん午前中には出発したと思う。とにかく友人をバイクの後ろに乗せて出発した。当初どのルートを走ったのか思い出せないが、どこからかで国道一号線に乗ったと思う。

 250ccクラスのバイクで二人乗りは決して快適なものではなかったはずであるが友人が小柄だったためかそれほど苦にならなかった。渋滞がちの都内を抜けると後は比較的快調に走行した(と思う)。天候は快晴ではなかったが雨も降らず風もおだやかで、この分で行けば夕方には浜松には到着出来るのではないかと思っていた。

 何時間経ったであろうか、やがて箱根に近づいた。箱根の急な坂道と連続した急カーブ、二人乗りなのでスピードを上げるわけには行かなかったが、それでもその道はバイクの醍醐味を味わえる道のはずであった。

 ところがその日は事情が違った。それが箱根新道だったかどうだったか思い出せないが、峠の入り口まで来ると道路標識に何やら書いてある

「雪のため走行注意」だったか「雪のためチェーン装着」だったか書かれてあった。そのときはまだ雪など降っておらず道路も乾いており、「一体何のことなのであろう?きっとオーバーに警告を出しているのであろう」くらいにしか考えなかった。周囲を見渡しても四輪車は普通に道路を走っている。まあ何とかなるだろうと気楽に考えてそのまま走り続けた。

 しかしやがて考えが甘かったことに気がついた。

 坂を登り始めてしばらくするとやがて雪になりはじめた。はっと思ったときには雪は本格的なものとなり始めた。そこで坂を登るのを止めてUターンすべきだったのかと思ったがバイクの場合、雪で滑りやすくなった坂道を下ることは登る以上に危ないのである。一人だけならまだしも同乗者がいるのである。危険は避けるべきである、でもどうすればいいのか?ゆっくりとそのまま走行を続けた。もしかするともう少し進めば雪が止んで再び快適に走れるようになるかもしれないなどいう甘い期待を持って速度を落として走り続けた。しかし雪は一向に止む気配はない。路面は雪に被われ走行はますますむつかしくなる。

 これ以上の走行は無理だなと諦めの境地になってきた。やがて「チェーン装着場」にたどりついた。とうとうそこでバイクを停めて降り立った。周囲には何台も車が止まっているが、いずれの車もチェーン装着のために停車しているのであり、皆、黙々と作業をしていた。

 しばしどうしたものかと考えるもいい考えが浮かぶわけでもない。ふと見あげる山側には旅館とおぼしき建物が見える。最悪の場合、あの旅館に一泊するしかないのであろうか、けれども見た目は立派な観光旅館で宿代は高そうである。手持ちのお金で果たして宿代に足りるであろうかなどと考えてしまう。よしんば泊まれたとしても明日は天候が回復してバイクで走行が可能になるという保障はどこにもない。ああ、何で最初の警告を無視してしまったのであろうかなどと今更公開しても仕方ない。とにかく現状をいかに打破するかが問題である。友人もどうしてよいのかわからず黙ったままである。

 困ったものだと今来た道を振り返ると、やはり同じように走行が困難となりつつ登ってくるバイクが数台いる。あいつらも困っているのだなあと思いつつ眺めていると、同じように乗車を諦めてバイクを押して登って来始めた。無論人力で坂道を押して登るのは無理なのでエンジンをかけつつ、バイクから降りて押しているのである。そのうち一台のバイクが雪で滑って転倒した。連中もつかれているようである。転がったバイクをおこすの手伝ってやると妙な連帯感が生まれてきた。結局、自分を含めて4,5台のバイクが途方に暮れて雪の中、一ヶ所に集まった。一同見通しが甘すぎたことに互いに苦笑いしている。全員20代とおぼしき連中である。おそらくこれより年配の人間は最初からこんな路は走らないのであろう。

時間がどんどん過ぎて行く、寒さが身にしみてくる。3人そろえば文殊の知恵というが良い知恵も浮かばない。

そうしているうちにチェーン装着のために一台のトラックが止まった。見ると荷台は空である。

これはチャンスかもしれない!と思い。他の者に提案してみる

「あの運転手に頼んで荷台にバイクごと乗せてもらおう」

他の者も拒否する理由もなく、うなづく。

ダメでもともとと思い、運転手のところに行き事情を話してみる

意外なことにあっさり「いいよ」との言葉が返ってきた

よし!急に元気が出てきた

トラックの荷台には4台くらいのバイクは楽に積めそうである。

バイクを載せるための器具などあるわけない。しかし幸いこちらは皆250ccクラスのそれほど重たくないバイクばかりである。一台180kgくらいあるのもあった(HONDA MVX250Fというヤツだった。何故かこれだけ覚えている)が、こちらは20代の男4,5人である。皆で力を合わせてエイヤとばかりに頑張れば、あっという間に4台(だったと思う)のバイクは車の荷台に収まった。バイクを荷台に固定するロープを貸してくれたような気もするが記憶は定かではない。でも状況から考えると多分何かしらのロープを貸してくれたと思う。

後で聞いてわかったのであるが、簡単に了解してくれた理由のひとつに荷台にバイクなどの重量物を乗せると重みで雪道でもスリップしにくくなるのでトラックにとってもメリットがあったそうだ。でもこれは照れ隠しの言い訳かもしれない。素直に感謝したい

やがてトラックは走り始めた。雪が降りしきる中、雪が積もった道路をさっそうと走り始めた。荷台に乗った我々は寒さも忘れうきうきとしていた。道路端でチェーン装着作業をしている人を見かけると何故か一同荷台の上から手を振ったりしていた。雪はますます強くなり、これではとてもバイクで走行なんて無理な話である、おれたち馬鹿だねえなどとたわいの無い話で盛り上がっていた。誰がどこに出かけるつもりだったなんて話題は出てこない。

やがて峠を越え、下り坂になり高度が下がるに連れ徐々に雪は少なくなり、間もなく雪はすっかり止み、路面はうっすらと湿った状態となる。今までの雪は一体なんだったのであろうと思われるほど普通の路面状態に戻っていた。

峠を越えて平地の一般道に戻り、しばらくするとトラックは止まった。再び一同力を合わせてバイクを荷台から降ろす。トラックの運転手には本当に一同感謝し、深々と頭を下げる。運転手は照れくさそうにして去って行った。

 

それから今ならばファミレスにでも入って皆でムダ話でもしつつ体を休めるのだろうが、だいぶ時間が経っており皆、目的地に向かって早々に走り去って行った。そういえばお互い名前も尋ねなかったが、非常に親しみを覚えた一幕ではあった。

この一件ですっかり予定は狂ってしまった。当初の予定では夕方には浜松に到着するはずだったのが、日が傾きかけているのに浜松までは相当距離があった。

 とにかく行けるところまで行こう!そう決めてバイクを走らす。友人も行くところまで行ってそこで考えれば良いというお気楽な返事。

峠の天気とは全く異なり、雨も降らず太陽こそ出ないが快適に走行を続ける。

だが次第に周囲が暗くなる。その時どの辺を走行していたのか覚えていないが、どう考えても夕食に間に合う時間に浜松にたどり着くのは困難なのは明らかだった。疲労がたまっていることもありファミレスに入って休憩&食事となる。そういえば今考えても昼食はどうしたのか思い出せない。峠越えの興奮で食事をとるのを忘れていたのであろうか?まあいずれにせよそこで食事をとる。何を食べたかも覚えていない。ゆっくりしたこともあり、外は真っ暗。既に時刻は9時か10時を過ぎていたような気もする。

 しばらく休憩した後、再び出発。地方国道は街灯も少なく真っ暗に近い道路を走って行った。友人も疲れたのか口数が少なくなっている。

 やっとの思いで浜松に到着したのは夜の11時を過ぎていた。駅の周囲はひたすら暗かったような気がするがよく覚えていない。たまたま目にとまったビジネスホテルに泊まることにした。部屋に入り風呂に入るが、それまでの緊張が一気にほぐれたのか半分湯船の中で寝てしまう。友人に声をかけられ吾に返ったが、本当に気持ちが良かった。

 あとはとにかく熟睡。

翌日は、その辺の喫茶店で朝食をとった。本来はその辺の観光でもしようかと思っていたが、何となくダラダラと過ごした。結局友人は夜までには実家に帰りたいとのことであり、昼前に駅前で別れた。友人は結構タイヘンだったが面白かったなと言ってニヤリと笑って駅に向かって行った。

 こちらはもう帰ることしか頭に無く、帰りは高速道路を利用した。その日は天気も良くバイクも快調であり一気に高速道路を走り抜けた。昨日難渋した箱根付近を通過するが、高速道路は雪が降ることもなく、あんなに大変な思いをした箱根周辺をあっという間に通過してしまった。昨日まる一日かかった距離を3時間足らずで走りきってしまった。昨日の苦労は一体なんだったのであろうかと思わず自問してしまった。

今振り返ると250ccの軽量バイクでよくやったものだと思う。一人ならばまだしも二人である。今だったら高速道路も二人乗り可能であるので高速道路を使用したであろうし、さらにバイクももっと重量級のものを使用していることであろう。しかし当時20代前半の私にとってこの見ず知らずの仲間?と切り抜けた雪道ツーリングはかけがえのない思い出となっているのである。