院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その62

April.4.2007


暗い青春・魔の退屈



 ある日、実家から電話がありました。母親からです。実家といっても10年ほど前に引っ越したものなので私は住んだ事が無く、かつて私が青春時代を過ごした家はとうの昔に取り壊されて残っておりません。当時の荷物はひとまとめにされ現在の実家の屋根裏部屋に放り込まれております。要するに電話は「たまには顔を見せて荷物の整理でもせんかい!」というものでした。仕方がないので出かけて行きました。


 荷物は段ボールの中に放り込まれて何がなんだか分からない状態です。荷物整理というよりは「発掘作業」に近いものがあります。

 あれこれガサゴソやっているとひとつの箱が出てきました。10cmもない小箱です。

なぞの小箱発掘!(発見?)

おお!これは!!!

さっそく中を開けると、、、何やらいっぱい入っています



おお!これは!!

短い短い鉛筆ちゃん達です

そうです、これらは全て鉛筆なのです。

きちんと番号まで書いてあります。そうです!これは私が受験生時代に使用した鉛筆の数々なのです。いつごろからこんなことをやり始めたのかよく覚えておりませんが、番号を見ると120番台まであります。大きさは小さいものは5mm程度までです。無論、こんなものを手で持つ事は困難です。金属製のキャップ?をはめて極限まで使っていたのです。

こんな感じで使っていました


 一体なぜこんなことをやっていたのであろうかと思い出してみますと、当時浪人をしていましたが自宅での勉強時間、なんとなく気晴らしに短くなって鉛筆を削る事に執念を燃やしていたような気がします。「ここまで鉛筆が短くなるまで勉強をしたんだ!」という自己満足を得る為にここまでシコシコと鉛筆を削ったのでしょう。最初のうちは確かに自分の仕事?の成果を見るひとつの手段だったのでしょうが、そのうちに「どこまで鉛筆を使えるか?」という本末転倒な行為に替わってしまったようです。

隣の10円玉と大きさを比較してください。比較的長い?ものは最初の頃のもので番号が一桁なのでまだそんなに削り込まれていませんが、右側の4本はいずれも番号が100番を越えており、最後の頃はこんなふうになっていた事を示しています。

見よ!この勇姿!?

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 鉛筆が短くなって、鉛筆削りがつかえなくなるとナイフで削り始めます。そしてこれ以上削るのが無理!というところまで行くとニンマリとして番号を付けて箱に放り込んでいたのでしょう。確か削り過ぎて割れてしまった(折れたのでは無い)ものもあったはずです。

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 それにしてもナント暗い!私の青春はこんなに暗かったのでしょうか!!?世間一般の同年代の人間が青春を謳歌している間、私はひたすら鉛筆を削っていたのでしょうか??!!

 しかし今見直してもよくもまあここまで削ったものだと感心してしまいます。120本といっても大部分は手元にあったすでにくたびれて短くなった鉛筆を使用していったので勉強量と比例はしておりません。大体そのくらい勉強したらもっとグレードの高い学校に行けたような気がしないでもありません。こんなことが私の気分転換だったなんて情けないものがあります。

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荷物整理をしていると、色々と青春期の残骸?が出てきました。それはそれでボチボチ書いていくつもりです。ちなみに引越が多かったため小学校以前のものは殆ど皆無に近い状態にあるのも寂しいものがあります。