院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その49

Feb.6.2006

インフルエンザと卒業式の思い出


今はインフルエンザが流行っています。高い熱が出てグッタリして皆さま来院されてきます。大人でも症状がひどいときは歩くのもやっとという方もおられます。

毎日毎日、インフルエンザの患者さんを診察しているわりには私は平気そのもの。ワクチンこそ接種してありますが、他には特に変わったことを行っているわけではありません。インフルエンザのおこちゃま達から、モロにくしゃみや鼻水攻撃を受けますが、今のところビクともしません(まあ、いつ倒れるかもしれませんが)。でも明日はどう変わるか分かりませんが、、。

 先月、一度だけ夜に妙な寒気がありました。これはきっと熱があると思いましたが眠かったので熱も測らずそのまま寝てしましました。翌日には回復していました。

 私がこの季節に、インフルエンザらしきものにかかったのは一度だけあります。それはもう30年近い昔の話、高校3年のときです。あれは3月上旬、大学受験で北海道に行ってきました。試験を終えて当時住んでいた千葉県松戸市の自宅に戻りました。試験も終わってやれやれといったところで、気が緩んだのでしょうか、数日後ドーンと発熱しました。熱は40度を越えました。さすがの私も動けなくなりひたすら寝ていましたが医者にかかるなんてはなから考えもしませんでした。当時近所に医療機関は確かなかったように思えますし、とにかくこんこんと寝ていました。40度前後の熱が続くとさすがに動けません。ちょうど卒業式の日に重なり、とうとう私は高校の卒業式は出席できませんでした。ですので卒業式の記憶は存在しません。今思えばあれはインフルエンザだったのでしょう。

 後日、全快してから一人高校に出かけ、卒業証書一式をもらいました。

思い出してみると私はあまり卒業式に関して思い出は少ないような気がします。幼稚園の卒園式は北海道の旭川でしたが、あまり記憶にありません。

小学校は北海道旭川→千葉県松戸市→兵庫県西宮市と転校を繰り返し、しかも最後は小学校6年の5月に転校したので、卒業した小学校には10ヶ月くらいしかいませんでした。ですから同級生が名残惜しそうにしているのに私は一人浮き上がったような印象でした。卒業アルバムをみても6年生の整列写真にしか私は載っておらず、それ以外の思い出のページ?には一枚もありませんでした。 

中学校は西宮の中学校に入学予定で鞄や制服など一式そろえ、学校見学も終えたところで、いきなり父親に転勤の辞令がおりて再度松戸に戻ることになりました。まあ制服は学生服なので転校してもなんら問題はありませんでしたが、西宮の中学校の校章が入った鞄を持ち歩くのは何だか抵抗がありました。入学と同時に松戸の中学校にいたので違和感はありませんでしたが、書類上は「転校生」扱いでした。中学時代は、そこで3年間過ごしたので、唯一少年〜青春期のまともな卒業式を経験できたと思っています。

最後に大学ですが、もう成人でしたし、私はポン大の雰囲気が好きではなかったこともあり、「なんで卒業式なんてやるの?」といった感想しかもっておりません。

インフルエンザのことを考えているうちに、どんどん話が飛んでしまいました。それにしてもインフルエンザにかかった受験生を見ると、何で日本はこんな時期に入試をやるのあろうか?などと思ってしまったりします。