院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その 46

Sep.13.2005

邂逅


 ここにひとつの雑誌があります。少年マガジン昭和41年30号(7月16日発売)です。この本は私がずっとずっと探し求めていたものです。先日オークションで1000円で入手しました。なぜ探し求めていたかというと、これこそ私が自分で購入した生まれて初めての雑誌だったものだからです。
 人間の記憶なんてあやふやなものですので間違いかもしれません。でも私の記憶の中では昭和41年の夏に北海道の旭川から千葉県松戸市に引っ越しするときに「道中退屈するだろうから」と親がお金をくれて近所の本屋さんで購入したものと記憶しています。

少年マガジン昭和41年30号

  私は記憶違いかもしれませんが昭和41年7月21日に羽田空港に降り立ったと記憶しています。当時は旭川から札幌まで特急でも5時間くらいかかったような気がします。札幌で一泊したかもしれませんが覚えていません。この雑誌の発行日は前述したように7月16日なので、日時としては間違っていないと思います。それにこの表紙のなんとも不出来な?写真。これは当時連載していた白土三平氏の「ワタリ」が映画化されたときの特集ですが、おさなごごろに「何だかカッコわりーなー」と思った記憶があります。

 連載物として、かの石森章太郎(私の世代では石の森よりも石森です)のサイボーグ009の連載第1回目、それ以前は確か今は亡き少年キングに連載されていましたが、雑誌を変えての再登場でした。当時はこの英語表記がかっこよく見えました。

個人的には石森章太郎は少年マンガ家としては

昭和40年代半ばまでがピークだと思っています

この英語表記が妙にカッコよかった(無論当時は理解不能でした)

 あと記憶にあったのはかの「ウルトラマン」です。なんと楳図かずおが絵を描いております。でもこの回ではウルトラマン自身は登場しておらず、非常に不満だった思いがあります(当時は本を開けば毎回ウルトラマンが登場するものと勝手に思っていました)

よく見ると「7月17日よりテレビ放映開始」とあります。まだ放送前だったのですね。

でも我々は前宣伝で結構情報を得ており、楽しみにしていたものです。

 その他記憶に全く無かったり、断片的に記憶していたものなど様々です。ちらりと劇画もどきもありますが、まだまだマイナーな存在で、あくまでもターゲットは小学生までのようです。

当時、こういった怪しげな特集が多く、私の雑学の原点?となっています。

全体としては特に目立ったものはありません。たぶん、「初めて買った」ことと「北海道からの引っ越し」という事柄が重なったので記憶に残っていたのであろうと勝手に推測しています。

 少年マガジン自体、この頃がもっとも「少年雑誌」らしいといわれた時期だったそうです。その数年後、いわゆる劇画が主流となって、すっかり様変わりしてしまいます。そして私の少年マンガに対する興味もなくなってしまいます。

よーするに何が言いたかった訳ではありませんが、とにかく私にとっては大変懐かしく、何だか切なくなってくる本です(もっと名作などだったらいいのですけど現実はこんなものなのでしょうか?)この本を眺めていると約40年前にもなる当時の風景がよみがえってきます。鉄道は北海道では蒸気機関車がまだ主流だったし、家の暖房は石炭だったし、トイレは当然くみ取りだったし、ラーメンは50円だったし、ああ〜なんだか懐かしいけれどロクでもないことばかり浮かんできてしまいます。

本の内容よりも、その時代を感じ取っているのだなあと思っています。他にも当時を思い出させる号を何冊か購入しました。でも欲しいと思うものは67年前半までに限られ、それ以降はどうでもよくなってしまいます。なぜこの頃が一番懐かしいのでしょうか?自分でも考えてみたいと思います。