院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その28

Feb.22.2004

無人駅の思い出

 
 先日、10年ほど前に勤務していた伊豆稲取にある病院のかつての同僚からメールがきました。ああ懐かしや、いろいろなことがあったなあなどと感慨に浸っていると、ふとひとつの出来事を思い出しました。

 あれは確か2月だったか?珍しく伊豆に雪が降った日曜日のことでした。東京に急な用事があり、私としては珍しくネクタイを締めてコートを着て 鉄道を利用して出かけました(普段は車を利用していました)。

 用事を済ませて、そのまま伊豆に戻ります。既にとっぷりと日は暮れています。熱海まで新幹線で行き、そこから伊豆急行に乗り換えます。そう遅くない時刻なのに地方なので電車は終電車でした。やれやれと思い、座席に着きました。外は寒いのに電車は暖かく、疲れもあってそのうち眠りこけてしまいました。

 ハッと気がつくと降りるべき稲取駅は通過していました。
しまった!と思っても、もう後の祭りです。次の駅で降りて上り電車で戻ろうと思っても、終電なので上り電車はありません。

 仕方がないので次の駅で降りてタクシーを拾って戻るしかありません。とにかく次の駅で降りることにしました。

 ともかく次の駅につきました。駅の名前は「稲梓(いなずさ)」でした。何も考えずにとりあえず降りてみると、何だか薄暗い駅でした。他に降りた人は一人だけで、その方もご家族が車で迎えにきており、やがていなくなりました。気がつけば、そこは無人駅でした。切符は改札の箱に入れるだけで乗り越しの精算をしようにも人も機械もありません。「400円得したな、ラッキー♪」などとアホな私は喜んでいました。

 それでは駅を出てタクシーをつかまえよう、と思って駅を出ました。すると何ということでしょう、周辺は真っ暗でお店の一つもありません。民家が数件あるだけです。その民家も殆どは明かりが消えています。街灯らしきものも無く、右も左もわかりません。タクシーどころか自動車の一台もいません。

ここは一体どこ?(稲梓です)私は一体どうなるの?連絡をとるにも当時は携帯電話などありませんでした。とりあえず頭を冷やそうと駅に戻ります。待合室でよっこらしょと腰掛けると、いきなり駅舎の電気がばっと消えました。そうです、終電が行ってしまったので駅の電気も消えてしまったのです。そうです、都会の発想で「駅前には必ずタクシーがいる」という考えを持った私が間違いだったのです。

 あたりは真っ暗、ふと空を見上げると冬の星空がとてもきれいです。ああ、あそこに見えるはオリオン座、あれはカシオペア、でも南十字星は見えません、などとお馬鹿なことを考えていました。
 
 線路の上を歩いて下田まで行こうか、あそこならなんとかなるだろうと思いましたが、見てみると線路は駅を出るとすぐにトンネルに入っていきます。歩いてトンネルに入って、もしもトンネル内の電気が消えたら、それこそ何も見えません。恐くなってやめました。(これはまことに正解で、後日確かめたら駅からほどなく柵のないとても高い高架となっており、もし歩いていたら転落死していたことでしょう。ああ恐ろしや)

 真っ暗な駅にたたずんでいると一ヶ所明るいところがあります。行ってみると公衆電話がありました。これ幸いと稲取の勤務先の病院に電話をかけて泣きつくと、病院からタクシーを呼んでくれることになりました。

「やったー!助かった」喜んで駅を出て迎えを待ちます。空には満天の星、冬のしじまのなかで、きっと同じ星空を眺めている人もいるのであろうと、今は無きジェットストリームというFM音楽番組のナレーションもどきで、気分はナレーターの城達也でした。

 待つこと小一時間、タクシーがきました。暗やみの向こうからやって来るタクシーのヘッドライトの明かりがとても頼もしいものに思えました。タクシーの運転手さんは開口一番「いやーお客さん、大変でしたねー、こんなところで降りないで終点の下田まで行ってしまえばタクシーもいたんですけどねー。」と慰めてくれました。確かに下田は観光地でもあるのでタクシーもいたはずです。でも寝過ごして慌てていた私にはそこまでの判断力はありませんでした。

 稲取まではタクシー代が1万円以上かかりました。400円を得したと思っていた私は愚か者でした。

 翌日には稲取ではこのことがすっかり知れ渡っていました。当時は稲取には8台しかタクシーが無かったのですぐに噂が知れ渡るものでした。

 タクシーに乗った同僚が「いやあ昨日はオタクの先生が稲梓でタイヘンだったそうですねえ」といわれたそうです。