院長のひとりごと

当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです。


院長のひとりごと その25

Jan.4.2004

ラーメン

 
 最近自宅の近所にラーメン屋さんが開店しました。しかも隣と道路の向かいもラーメン屋さんです。わが家の近所はやたらとラーメン屋さんがあります。それでも適当にお客さんの棲み分けが出来ているようで、それぞれ繁盛しているようです。

 最近はラーメン屋さんが乱立気味といってもいいくらいですが、昔と比べればラーメンは確実においしくなったと思います。どのお店に入っても「おいしくない!」と思うことは無くなりました。

 20年ばかり昔のグルメブーム?の頃は東京ラーメンと言えば荻窪が紹介されていました。その頃まだ学生で荻窪の近くに住んでいた私は、その有名なラーメン屋さんの行列に加わって食べたこともあります。あっさり味で結構おいしかったと思った記憶があります。

でも今は行列に加わってまで食べる気はありません。たかがラーメンのために行列する気力は無いのです。並んで食べるくらいならば「山口屋」のラーメンで十分です。

 ところで私のラーメンのいちばん昔の記憶は昭和41年ごろのことです。なぜか値段を覚えています。

ラーメン五十円、タンメン七十円、ギョーザ五十円というものです。

当時、出前でとった「山喜」(ヤマキと読みます)のラーメンはとてもおいしかった記憶があります。当時は無論ラーメン専門店などと言うものはありませんでした。
 ついでながら昭和四十一年の夏までは北海道の旭川にいましたが、現在出まわっている「旭川ラーメン」なるものは存在しませんでした。
 それから三,四年して駅前に「ラーメン専門店」なるものが駅前(千葉県松戸市)に出来ました。親につれられて食べに行きましたが、「こんなにおいしいラーメンを食べたのは初めて!」と感動しました。

以来、月日は流れました。いつしか昭和から平成となりました。先日、久しぶりに昔有名だった荻窪のラーメン店に入りました。平日であることもあり、並ぶことも無く入れました。店の雰囲気は昔のままですが、値段が随分高い印象でした。肝心のラーメンはといえば「こんなものだったのかな?」といった印象で、この値段でこの味ならば割に合わないなといったものでした。おそらく味が落ちたというのではなく、相対的に他のお店のラーメンがおいしくなったのでしょう。

 癌研に勤務している頃、大塚ー巣鴨近辺をよく徘徊していました。ある土曜日、お昼ご飯を食べようと歩いていると、ものすごく古くさいラーメン屋さんを発見しました。三十年以上時間が止まったようなお店です。お店は薄暗く、テーブルはガタガタで、イスは昔ながらのパイプのイスです。「案外こうしたお店に隠れた、うまいラーメンがあるのでは?」と思い、そこに入りました。注文は勿論、ラーメンです!。
 出てきたラーメンを見ると一気に30年以上前を思い出しました。ナルトと支那竹が入っており、チャーシューのかわりに薄っぺらいハムが浮かんでいます。「ああ、確かに昔はこんなラーメンだった、、。」と感動ものです。さっそく味わいますが、、、味は


 ま、まずい」


本当においしくありません!!!!。こんなにおいしくないラーメンは久しぶりでした。麺は安っぽく、おつゆは醤油臭いものでした。でも「確かに昔のラーメンはこんな味だったな」と妙な感動をおぼえました。当時はおいしいと思った味も、現在味わうとおいしいと感ずることは出来ませんでした。最近「昔ながらのラーメン」というのを売りにしているお店がありますが、本当に昔ながらの味だったら、当の昔につぶれているはずです。
 前述の「山喜」はとうの昔に無くなっており、駅前のラーメン専門店も学生の頃に食べ直したら、大しておいしいとは思えませんでした。
 やはり思い出の味は再現しないで、記憶にとどめておくのが良いですね。

 先程の大塚のラーメン屋さんですが、おいしくなかったですが、貧乏性なので残さず食べました。そういえばお昼時だったのに客は私だけでした。確かに懐かしい味?でしたが、そのお店には2度と行っておりません。だっておいしくないんだもん!でも昔の味を味わいたいという方にはお勧めかも?