当初は、もう少し花鳥風月を愛でる話や、世相を風刺するようなことを書いていこうと思いましたが、いつの間にか情けない話ばかりになっています。かといって愚痴めいた話はいやなのでこのペースが続きそうです
院長のひとりごと その108
January.4.2026
インフルエンザの思い出
年末はインフルエンザが猛威を振いました。幸い私は感染することもなく無事過ごしましたが、今に至るまで全く感染したことがないわけではありません。
思い起こせば高校三年生の卒業間近のことでした。受験も終えて(どこも合格しませんでしたが)、さて後にあるのは卒業式くらいだと思って学校にいました。ところが昼過ぎから体がぞくぞくしてだまりません。倦怠感もひどいので思わず保健室に行って体温を測定したら38.3度(たぶん)ありました。「これはダメだあ」、ちょうど受験で北海道から戻ってきて間もなかったので、きっと北海道で風邪をひいたのだろうと考えて早退することにしました。
当時、私は自転車通学しており、自宅まで7kmありました。さすがに熱のある身で7kmの道のりはきつかったと思います。帰宅すると布団に直行、ばたりと寝込みました。
すぐによくなるだろうと思っていましたが、翌日にはさらに熱が上がりました。現代ならば医療機関を受診したかもしれませんが、当時は「熱くらいで医者にかかるなんてあほらしい」と考えており医療機関を受診することは頭の片隅にもありませんでした。親も「寝てれば治るよ」というスタンスでほったらかしでした。家には風邪薬はもちろん、解熱剤のたぐいもなく、ひたすら寝ていました。気がつけば熱は41度まであがりました。自分で体温計を見て「これはすごいなあ、最高新記録だなあ」などときわめてのんきでした。もっとも熱のために頭がぼうっとしていたのかもしれず、まともな判断力がなかったのかもしれません。さすがに動く気力もなくひたすら寝ていました(寝ていたのであまり記憶がない)
結局、熱は続き卒業式には出席することができず式の当日こんこんと寝ていたと思います。1週間ほど寝込んでようやく回復しま復活しました
体力が戻ってから一人で学校に卒業証書を取りに行った記憶があります
今、思い返せばこれってインフルエンザの症状ですね。当時は診断キットも存在せず、治療薬もなくひたすら安静臥床しているしかなかったと思います(麻黄湯はあったかもしれません)。そもそもインフルエンザという名称も一般的ではなく流行性感冒、略して「流感」と言っていたと思います
(ちなみに診断キットの登場は1999年、治療薬は2001年から
登場です)
当時の私の症状は 「高熱と倦怠感」のみで「熱のためかいくらでも眠れる状態」としか記憶にありません。もっともそのため社会的活動はできない状態でした。まあ若かったこともあり「寝てればそのうちけろりと治る」状態でしたが、今の年齢の私がまともに感染して、薬を内服しなかったらきついだろうなと予想されます
私のインフルエンザに対する思い出の最たるものは「卒業式に出席できなかった」というものでした
それにしても「流行性感冒」略して「流感」はいつの間にか死語となっていたとは知りませんでした。40〜50歳代の人たちに尋ねても、皆「なにそれ?聞いたこと無いです」という反応ばかりでした。これを読んだ方はご存知かしら??