Vol. 45
2011. April. 24
親子でプチ廃道歩き
お昼からひょんなことからチビスケと一緒に車でお出かけとなりました。
最近、チビスケは秘境駅趣味がこうじてきて今度は廃道、廃線などにも興味をもつようになりました。
もともと私もそうしたものは嫌いではない。今日はいい天気、先週の日曜日は休日診療所の当番だったし本日も午前中は急な往診で働いていたので自分へのご褒美?を兼ねてひょいと出かけることにしました。
廃道、廃線といっても近所にそんなにあるわではない。でもチビスケが教えてくれたものの中に「国道20号線」の旧道=廃道があるとのこと。地図を見ると、おお!これはかつてバイクで走った神奈川の大垂水峠のすぐそばではないか!ここならそれほど遠くもないので、あっさり決定
国道20号線といえばかつての甲州街道であり、江戸と甲信越方面を結んだ大動脈であったはずです。これが廃道になっているなんて興味津々
昼過ぎにチビスケと一緒に車ででかけました。贅沢にも高速道路を利用します。たくさん働いているんだ!このくらいゼイタクしても良いだろう!と開き直ります。
時間節約のために中央高速に入り一気に目的地に向かいます。目的地はまずは「相模湖東」です。幸い道路は空いており1時間もしないうちに高速道路を降ります。
高速道路を降りて都内の方向へ向かうと、すぐに大垂水峠です。一級国道と言っても狭い道幅、急な斜面、急なカーブの連続です。かつてはここはバイクの走り屋たちの絶好の走り場だったのです。でも事故が多発したため現在は土日休日は125cc以下の小排気量のバイクは通行禁止になっており、さらにバイクブームも去ってしまったので道行くバイクも数少ない状態でした。私もかつては(といっても30年くらい前)走りに来たことがあるのでなんとも懐かしい感じでした。
自転車で峠に挑む方々が多かったです
まずは腹ごしらえ。大垂水峠の頂上に「富士屋」という食堂があり、ここは地元の湧き水を利用したラーメンが名物とのこと。結構人気だそうなので混んでいるかなあと思いつつお店に入ると客は我々親子のみ。
大垂水峠の頂上にある「富士食堂」
店内はレトロな雰囲気満載で、東京オリンピックの記念メダルやプロレスの力道山の写真などが飾ってあったりします。
ラーメンはあっさり味です。麺は普通ですが、それよりもスープが美味しい。スープだけでも十分イケテしまうような味わいでした。
我々がこのお店を選んだのはラーメンを食べることとの他にもう一つあります。それはこの店の敷地内こそが「旧道」の入口(出口?)なのです。
お店の人に断って周囲を歩いてみると確かに旧道と思われる未舗装路が林の奥につながっています。残念ながらフェンスで区切られており中に入っていくことはなりません。
現在の国道に出てみると、ちょうどお店の脇から旧道に入っていく道の跡があります。たしかにここが旧道につながっていたんだと実感するところです。
店を出て頂上側を向くと不自然なガードレールの配置
そうです。ここがかつての旧道への通じる箇所です。2本のガードレールの左側が旧道につながるのです
ただし、しっかりとフェンスが張られ中には侵入できません
お店の人に断って敷地内から撮影しました。全面通行止の看板があり右奥に旧道が見えています
お腹もいっぱいになり、再び相模湖方面に向かいます。しばらく走り峠の終点付近に「千良木(ちらぎ)」交差点があり、ここを左に入っていくのです。
ここは県道515号。普通の地方道です。少し走ると県道517号と交わります。
この交差点を左折し県道から外れると、そこが旧道へつながる道となります。
交差点を左折するとすぐに行き止まりとなりますが、そこを右折すると旧道につながるのです
とりあえず途中までは車で行けそう。まだ舗装されているし行けるところまで行ってみます。チビスケも隣でワクワクしているようです。途中から周囲は林となってここからか?と思っていたら再び住宅が立ち並んでおりました。
ここは普通の地方道といった感じ
途中から未舗装路になりますが
普通に住宅あります。左手(山側)は別荘地のようです
でも「この先200m通行止め」の看板が出ています。
そこを過ぎると道沿いに住宅はなくなり、未舗装路となります。これ以上進んで通行止めになったらUターンするには不安な道幅となってきたので余裕を持って車を停めて、そこから徒歩で行くことにしました。もっとも左側は山側で高台になっており高台には別荘と思われる住居が建っているのが見えます。しかも一部は「好評分譲中」ののぼりもみえております。
ポカポカと暖かくいい気持ち。チビスケとテクテク歩きます。道路には轍もしっかりしており全然寂れた感じはありません。
しかし少し歩くと旧道発見!そこからは急にうっそうとした茂みの中につながる道が現れました。
左の建物は別荘と思われる展示場?左に曲がると分譲地。直進方向は、、、
この一画だけ舗装されています(おそらく分譲地のため)が、この簡易トイレが置いてある道路こそが旧道そのものなのです
好評分譲中だそうです(撮影場所の右側が旧道となります)
さっそく侵入。うっそうとした未舗装路ですが轍も残り、一見地方の山道といった感じ。
しかし!よくよく考えればここは戦前までは「国道20号」であり地方と東京を結ぶ「幹線道路」だったはず!いくら当時は自動車が少なかったとはいえ、どう考えても自動車がすれ違うのが困難な道幅です!基本的に通行できるのは人間以外には牛や馬としか思えません。
用がない人はまず来ないと思われます
花が綺麗だったりします
道には車が通行した跡がありますが次第に道幅は狭くなります。かつての国道と言っても舗装はされておらず水はけも良くないようであちこちくぼんでおり、ところどころ水が流れた跡があります。なんでこんなところに水たまりが?と思って山側を見てみるとおそらく雨が降ると水が流れてくるようと思われる窪地があります。その窪池に沿って山側から流れてきたと思われる古タイヤやガラクタが転がっていました。雨の日はおそらく道を横切る水流となっているのでしょう。
雨が降ったら水路となるとおもれる箇所。山側から古タイヤなどが落ちてくるようです
しばらく歩くと何やら看板らしきものが転がっています。もしやと思い立ち上げると案の定「全面通行止」の看板でした。此処から先は少なくとも車両は行っちゃだめなのね、でもここまで自動車できた人はどうやってUターンするのでしょうか?などと思いながら徒歩の我々はもう少し進んでみることにしました。
おや?なにか青いものが倒れているぞ?
たててみると「全面通行止」の立て看板でした(でもこの後すぐにまた倒れてしまいました)
だんだん周囲はうっそうとしてきました。チビスケは興味津々ですが半分腰が引けています。私と違い都会育ちのチビスケは山道に慣れていないのです。それでも進むとさらに「通行止め」の看板。まあこちらも気楽になんの準備もせずに来たこともあり、この先何があるかわからないので引き返すことにしました
二つ目の「通行止」の看板
更に奥に続きますが、引き返すことにしました
歩いて10分くらいの散策でしたが、これが本当にかつての一級国道かと思うといかに戦前の日本の道路事情が貧弱なものであったかわかります。調べてみるとこの道路は明治期に作られたようで戦後しばらくまでは国道として使用されていたようです。ということは江戸時代、いわゆる甲州街道であった頃はさらに険しい道だったことでしょう。
あとで調べたらこの廃道は全長3kmないようです。機会があればあらためて訪れてみても良いのかもしれませんが、ここまでどうやってくるのかが問題です(今回は車をその辺に駐車させてもらったが好ましいことではありません)
旧道をでると美しい風景が広がります
それにしてもこんなところに明治時代の甲州街道跡があるなんて、おそらく地元の人も知る人は少ないのではなかろうかと思いつつ帰路についたのでした
地図で見ると1/3くらい歩いているんですね。でも高低差もあり気軽に行けるかどうかは不明です
ちょうど大垂水峠の文字があるところが頂点ですね。われわれは下側からアプローチしています